芸能の雑学・豆知識

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江見俊太郎の経歴について紹介

 

生い立ち

 生年月日:1923年9月16日

本名は黒川輝郎、3人兄弟の二男として東京府豊多摩郡中野町(現在の東京都中野区)に生まれた。小学校は門司小学校で、神奈川県立湘南中学校(旧制)を経て1944年に早稲田大学専門部政治経済科在学中に学徒出陣で海軍に入隊する。海軍では航空隊に所属し、特攻隊に入るが終戦により命拾いし復員した。彼自身特攻隊の生き残りなため、人一倍敗戦のショックは大きく、世界と対等に渡り合えるのは芸術しかないと悟り、映画界に入る決心をした。

ちょうど敗戦直後、江見の実家の店子には6世尾上菊五郎がおり、彼のすすめにより1945年12月に東宝に入社した。デビューは1946年の「民衆の敵」でその時の芸名は江見渉で軍需工場の現場監督役だった。

1947年になると東宝で争議がおこり新東宝ができた。江見もそこへ移動する。

新東宝時代

新東宝へ移動した江見は多くの映画で脇役として出演し、その中でも中川信夫監督の「東海道四谷怪談」では好演する。
       


「東海道四谷怪談」での江見俊太郎

 

テレビは放送開始から多くの番組に出演し、1957年の「眠狂四郎無頼控」で眠狂四郎役で主演する。その他にも1958年以降に「新吾十番勝負」、「浪人街」、「新納鶴千代」などに主演し、テレビ時代劇スターとして人気を集めた。

1957年6月より芸名を江見俊太郎に改めた。1959年に新東宝を退社しフリーとなった。

フリーになった後

新東宝を去った江見俊太郎は主にテレビや舞台に出演し、テレビでは「水戸黄門」のコミカル悪役として好演した。舞台では1976年より劇団ノアを主宰し、地方の小中学校を巡演する地味な活動をしていた。

役者以外にも俳優や芸能実演家の地位向上に尽力し、日本俳優連合副理事長、日本芸能実演家団体協議会常任理事、東京芸能人国民健康保険組合理事長などに就任している。

家族は1949年に恵美子夫人と結婚したが1975年に死別し、1980年に松風はる美と再婚して3人の子供に恵まれた。

しかしながら2003年11月に肺がんのため死亡した。