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藤山律子の経歴について紹介

 

生い立ち

藤山律子は
 生年月日:1949年3月15日
 本名:多田佳代
 出身:徳島県鳴門市撫養町南浜

両親は料理屋を経営していた。子供の頃は目立ちたがりやで、徳島県立撫養高等学校(現:徳島県立鳴門第一高等学校)を卒業後、徳島にある四国放送の劇団員になってアナウンサーになる予定でいた。四国放送に入ってすぐ、試験的に1年間東京テレビタレントセンター(TTC) に入り、そこでCMとモデルの仕事をしていたところ、その仕事が忙しくなり、とうとう専門のモデルになってしまった。

当時の芸名は多田きみ子で、はじめは下着のモデルだったが、後にオートバイのCMに出る様になった。オートバイの免許を取った理由は高校時代、阿波踊りの練習に行くためにとったそうだ。モデル時代も暇を見つけて阿波踊りに夢中になっていたとのこと。

そんなとき、「金メダルへターン」の最後の仇役のオーデションがあった。


女優へ

「金メダルへターン」(1971年)の最後の仇役のオーデションは冗談半分で受けたが、偶然にも合格してしまい、それによって女優の道を歩むことになる。その後、「仮面ライダー」や「人造人間キカイダー」の特撮もののゲストや青春ものなどに出演する。

このころの藤山律子はススキのオートバイのCMに出演しており、非常に人気を博した。その一方でヤマハのバイクのCMも出ている。彼女の場合、このころに車の免許を取り、初めて車を運転した時は珍しく怖かったという。この後、15万円で中古のフォルクスワーゲンを買った。また、非常に麻雀好きで病み付きだったという。

そして藤山律子の役を決定づけると思われる「愛の戦士レインボーマン」の出演となった。

この番組での出演は悪役であったが、彼女のバイクアクションや悪役としての魅力があったことにより、その後、「電人ザボーガー」(1973年)のミスボーグ役や「特別機動捜査隊」の刑事役で出演する。さらに、映画でもいろいろな東映映画にも出演する。これら以外にもレギュラーでは特撮ものが多く、「少年探偵団(BD7) 」(1975年)の明智ちはる役(特撮でのいい役のレギュラー出演はこれが唯一)や「宇宙からのメッセージ・銀河大戦」(1978年)のクノーイ役で出演し、特撮の悪役はこれで終わりと思われたが、「科学戦隊ダイナマン」(1983年)に女将軍セノビア役で出演した。

「科学戦隊ダイナマン」の後は刑事もののゲスト出演やナレータなどの仕事が多くなり、特撮ものからは離れたようだ。

藤山律子自身の思いとして、「少年探偵団(BD7) 」のときのようないい役はいつもニコニコして疲れるが、悪役の場合、オーバーなアクションをしたり、普段出来ないことができるため、非常に悪役に対して魅力を感じていたようだった。私自身も彼女の悪役に迫力を感じるが。

藤山律子の性格はかなりきっぷのいいスカッとした性格で、どこか男っぽいところがあったようだ。。