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ロアルド・ダール作『チョコレート工場の秘密』と映画『チキチキバンバン』の関係【映画『チキチキバンバン』考察】

『チキチキバンバン』の原作を分析して解ったのは、「ジェイムズ・ボンド」ファミリーの痛快冒険物語といった感じで、チキの存在以外は極めて現実的な展開のこのお話が、どうして映画では夢あふれるファンタジーとなったかを知るためには、やはり脚本家のロアルド・ダールの研究は不可欠だということでした。

以前の記事でも、「『チキチキバンバン』原作に無いキャラクターであるチャイルドキャッチャーはダールが1964年に書いた児童文学『チョコレート工場の秘密』に登場するウィリー・ウォンカ氏をモデルに創り上げたのではないか?」という仮説を立てましたが、原作と2本の映画(1971年の『夢のチョコレート工場』、2005年の『チャーリーとチョコレート工場』)を見比べながら、その可能性を探っていきましょう。

  

 

 

原作の『チョコレート工場の秘密』と続編『ガラスのエレベーター宇宙に飛び出す』は児童文学の名作として古くから翻訳され評論社から出版されており、詩人の田村隆一さんの訳で読み継がれていました。

それが新しい映画の公開に合わせたのか、なぜか新訳となり、その翻訳者である柳瀬尚紀氏がかなり鼻息の荒い人物で、たとえば主人公のチャーリーは、フルネームはチャーリー・バケットなんですが、「バケットというのは日本語のバケツのことであり、イギリスの電話帳にはバケットなんて苗字は載ってないんで、 これはバケットではダメでチャーリー・バケツとしなければ 訳したことにならないから前任者は失格である」という意味の主張をしているとのことです…。

 

柳瀬氏の言ってることは理解できなくもないですが、そんなことは私にとってはどうでもいいことだし、翻訳って、そういう細かいことばかりに囚われていてもダメなので、できればこの新しい訳では読みたくないな~、と思っていたんですが、同じ考えの人は多いようで、旧訳を出版社が絶版とし在庫も引き上げたことも手伝ってか、ヤフオクでも高騰して、なかなか手が出ませんでした。

幸い近くの図書館にあるんですが、いつ行っても貸し出し中で、そこは「予約」ができないシステムなんでいつも悔しい思いだったのが、何とか借り出すことが出来たので読んで、そこで得たウィリー・ウォンカ像をベースに、それと比較しながら2本の映画を観ることにします。

映画『夢のチョコレート工場』

 

 

『夢のチョコレート工場』をまず観たんですが、これってミュージカルだったんですね~。

ウォンカ氏の登場シーンはわざわざ「杖を突いて足を引きずりながら登場し、おまけにスッ転ぶ」という小さな芸を凝らして、まるでポッツさんみたいです。

そればかりでなく、私の感覚では映画全体が『チキチキバンバン』に非常に似ており、原作と違う部分も多いので 、これはダール色をもっと濃くした「チキチキバンバン」なんだと思います。

 

貧しいけれど家族に恵まれ、夢と希望を失っていないポッツさんと、豊かだけれど孤独で、シニカルになって大人を信用しないウォンカ氏。

 

一人の人物の持つ個性が、全く違う環境によって全く違う伸び方をしたのがポッツさんとウォンカ氏で、もし、呼子キャンディーでお金持ちになったポッツさんに家族がいなかったら、ウォンカ氏みたいになっちゃうんじゃないかと思うんですよ。

 

原作ではどちらかと言えば木訥で、あまり子供っぽさを見せないポッツさんに映画のような稚気を与えたのは間違いなくダールです。

おそらくダールにとっては稚気と邪気とは切り離せない性質で、『チキチキバンバン』ではそれらをポッツさんとチャイルドキャッチャーとに 振り分けてバランスを取ったんじゃないでしょうか?

 

 

稚気と邪気とを兼ね備えたウォンカ氏を1964年に小説『チョコレート工場の秘密』で創造したダールは、1967年の映画『チキチキバンバン』ではその個性を分割して原作を脚色し、1971年の映画『夢のチョコレート工場』では、今度は逆にウォンカ氏をポッツ色を強めたキャラとして描いて、そして映画と同時期か直後の1972年に書いたその続編『ガラスのエレベーター』では、また稚気と邪気の合体した人物として描いてますね。

「『夢の』の脚本はダール担当だが勝手に変えられ、映画の出来映えに満足しなかったダールは『ガラスのエレベーター』の映画化は拒否した」との説がウィキペディアに書いてありますが、この時系列からしてそれはどうなんでしょうか?

そもそも続編執筆の動機は映画化にあったと考えるのが自然ですから、何か関連があるとしたら、『夢の』の最後にちょっと出てくるガラスのエレベーターの特撮の限界から、それが宇宙に飛び出す続編の映画化は時期尚早と考えたんじゃないかという気はします。

 

いやでも、この『夢のチョコレート工場』は原作の精神をうまく活かしてあり、予算や時代による限界は感じられなくもないものの傑作です。

なにより素晴らしいのはこの映画でのチャーリーは単なるおとなしいだけの子供ではないことです。

原作やそれから後述の『チャーリーとチョコレート工場』でも、チャーリーが勝ち残ったのは、おとなしく何もしなかったことが原因のように描かれていますが、この『夢の』のチャーリーは途中で一つだけウォンカさんの言葉に逆らって過ちを犯してしまいます。

けれども、すぐにその行動が間違いだと気づいて、途中でその悪いことを止めることができたことが彼が勝ち残れた理由でした。

過ちを犯さないことより、それを反省してリカバーしようとする方がはるかに難しいですからね…。

 

映画 『チャーリーとチョコレート工場』

 

  

一方、ティム・バートンがリメイクした『チャーリーとチョコレート工場』は、さすが技術の進歩はすばらしく、チョコレート工場の雄大さは格段に upしてたし、ガラスのエレベーターも自在に空を飛びまわります。

確か前回の映画化『夢のチョコレート工場』の時は省かれた「インドのチョコレートの城」とか「リスがクルミを剥く部屋」なんかもバッチリ再現してありました。

お父さんのことがトラウマになっていて、大人になりきってないという新解釈のウォンカさんもチャーミングです。

それからチャーリー坊やも前の子よりかわいい子役を使っています。

ウンバルンバも多重合成を使って全く同じ人が一杯いたので不思議さは増しています。

ダニー・エルフマンの音楽は重厚で、タイトルバックの工場でチョコレートが全自動で生産されているシーンから雰囲気を盛り上げてましたね。

やはりティム・バートンが「『夢のチョコレート工場』には原作のダークな部分が描ききれていない」と主張してリメイクしただけのことはあります。

子供のダークな内面を描かせれば、ティム・バートンにかなう監督はちょっと考えられないので、その部分ではまさに適材適所でしょう。

 

そう、その部分だけに関してだけは……………。

 

 

しかし、全体として評価するなら、やっぱガキ、それも成功して丸くなったガキに監督させちゃ、あの原作の深みは全く出ないと言わざるを得ません…。

私はティム・バートンという映画作家を嫌ってはおらず、『バットマン・リターンズ』や『シザーハンズ』はむしろ大好きなんですが、やっぱ彼の本質はガキなんだなぁと痛感…。

 

 

ウォンカさんを本当の若者にして、父親とのトラウマなんか作っちゃ、あの原作のテーマは台無しだと思うんですけどね。

原作の挿絵をよく見ると解るけど、もう彼はけっこうなトシなんですよ。

『夢の』のジーン・ワイルダーでも若すぎるくらいです。

ただジーンの方はさすが名優なんで、演技の幅でカバーして、タマに見せる悟ったような虚しい目つきや、抑制が効かなくなる情熱のほとばしりで、その内面の空虚さと焦りをうまく表してたけど、デップの方は、いらんこと若くして「父親との不仲がトラウマ」との設定を付け足したため、抑制が効かなくなるのは本当に熱中してるようにしか見えないし、虚空を見つめる時は父親のことを思い出してることになっちゃってて、深みが全くありません…。

もうかなりのトシのウォンカさんが工場とウンバルンバの行く末を心配するからリアリティがあるんで、白髪が1本みつかったくらいの若いウォンカがそういうの気にしたって、また気まぐれが始まったようにしか見えないってもんです……。

 

「子供の心を失ってない男」と、「大人になりきってないガキ」というのは、全く似て非なるものなんですけどね。

そこがティム・バートンには解らないんだろうなぁ…。

 

  

言うことを聞かなかった子供たちへの仕打ちも、技術が発達した分リアルになってるんだけど、なんかその扱い方がイジワルで、オーガスタスはチョコ川で溺れさせてパイプを通したのに最後までデブのままだったり、膨らんだバイオレットのメイクは、エクソシストみたいに醜悪で最後もブリッジ逆四つんばいでのリーガン走りをさせるほど苛めてるし、ベルーガは単にゴミをくっ付けただけで、腐った性根は治ってないままだし、マイク・TVのエピソードでは、無意味にかつ執拗に『2001年宇宙の旅』をパロったり(ツァラの音楽-ちゃんと映画と同じカール・ベーム盤を使ってる-だけでなく、モノリスとヒトザルの映像までカンペキに)と、こだわりがやたらオタクっぽいんですよね。それに彼だけは原作通り、チビだったのがヒョロヒョロのノッポになってるし…。

 

ここはねぇ、原作ではワンカさんの言うことを聞かずに怖い目にあわされた子供たちも、最後はそれなりにいい目にあってるんですよ。

デブはスマートに、チビはノッポに、ガムばっか噛んでた子は健康そうに、 鼻っ柱の強かった子はそれをへし折られてしょげかえると、今後の彼らの人生のためにはたいそう素晴らしい無形の贈り物をもらってるんだけど、ガキであるバートンには、その意味が解らなかったんでしょうね……。それで単に意地悪くイジメてるんでしょう(苦笑 )。

 

ウンバルンバの歌がフツーのロックっぽくなってるのは、これは好みかもしれないから、悪い評価はしません。

でも私は『夢の』の♪ウンバ ルンバ ドゥビ トゥビ ドゥン♪の方が好きだったな…。

 

『チャリ・チョコ』も、これだけ観ればそれなりに楽しめると思うんですよ。でもやっぱり、『夢のチョコレート工場』の方が深いし、原作はさらに不気味です。

悪趣味と、コケオドシと、不気味、つうのはそれぞれちょっと違うんだけど、ガキには本当の不気味さは理解できないし、描けないんだなぁ、ということがシミジミ解りました…。

 

私はバートンの映画を嫌いではないんですが、これは単なるエンタメムーヴィーになっちゃってます。

大金かけてこういう映画しか撮れなくなってる今のバートンにこそ、原作のウォンカさんの工場へ行くゴールデンチケットが必要なんだけど、ハリウッドというものが子供をダメにするあの親たちそのものなんで、彼にそのチケットをくれる人を見つけることは難しいかも?(苦笑)

 

 

さて、上にUPした写真はウォンカさんのチョコレート工場ですが、 左が原作のジョゼフ・シンデルマンによる挿絵で、中央が『夢のチョコレート工場』版で、 右が『チャーリーとチョコレート工場』版です。

見比べてみると、予算と技術の差は感じられるものの、大差ないイメージでセットが作られている(新しい方はCGかも?)のが解ります。

ウォンカ氏のキャラ設定には多少のブレがあったこの3つですが、工場内イメージはほぼ統一されてるようです。

 

では、40年もの時間を経ても全然変わらないイメージを保ち続けている、チョコレート工場のビジュアルの源泉はいったいどこにあるんでしょうか?

 

そのことを考える道筋として、まず、『チキチキバンバン』の原作研究で考えた、「原作に登場しないボンバースト男爵の居城にノイスバンシュタイン城を使ったのは、キャラのモデルがルードヴィッヒ2世だからではないか?」という仮説がありますし、またこの研究の前半で考えた「原作では冷静沈着な人物であるポッツ氏を映画のように稚気溢れる人物に変えたのは『チョコレート工場』のウォンカ氏の影響大ではないか?」という考えも活きてきます。

 

 

ここである資料を見てください。イギリス版の『チョコレート工場の秘密』のカバーです。

イラストを描いてるのはダールの信頼が一番厚い挿絵画家、クエンティン・ブレイクですが、そのウォンカの顔をよ~く見てくださいね。

ほら、鼻が長いでしょう、ちょうどチャイルドキャッチャーのように!

 

原作のウォンカさんはやはり稚気と邪気を併せ持った人で、なおかつ老獪なところもあるという、かなり深みを持った人物でした。

ダールはやはりこのキャラを分割して、ポッツさんとチャイルドキャッチャーと、それからボンバースト男爵を作ったんですよ。

 

ルックスと抜け目の無いところはチャイルドキャッチャーに優しさと暖かさ、そして発明狂のところはポッツさんに、暴君のところと邪気はボンバースト男爵にと…。

 

これらのキャラの大もとはルードヴィッヒ2世だと思うんで、ボンバーストが男爵なのにどう見ても王様なのもそのせいですね(笑)。

 

 これまでなんでチャイルドキャッチャーの鼻が長いのか解らなかったけど、これでスッキリしましたよ…。

 さて、そのキャラクター分割説の大もとになるルードヴィッヒ=ウォンカ説ですが、今ひとつ物的証拠が得られませんでした。

そこでいろいろ捜していたら、とうとうそれを見つけたんです!

 

これはノイスバンシュタイン城と同じく、ルードヴィヒが建造したリンダーホフ城に作られたヴィーナスの洞窟。

ワーグナーの歌劇「タンホイザー」の一シーンを完全再現したそうですが、さすが狂王サマです、御乱心振りがハンパではありません。

この時代に電飾までほどこして色とりどりにライトアップされるというんだから、すばらしい!

 

この洞窟を上の2枚の写真と見比べてください。

色彩から雰囲気からもうそっくりでしょ?

ここまで似ると、この洞窟がダールのチョコレート工場のモデルなのは確実で、だからウォンカさんはあのチョコの川を船で渡っていくんですよ。

 

となると、バートンがジョニー・デップをキャスティングしたのは、いつもの仲間内配役による偶然か、それとも意図的なのかは解らないですが、これは原作をすっ飛ばして原点にまで行っちゃったのかもしれませんね。

 

 

ひょっとしたら、 バートン版の『チャーリーとチョコレート工場』というのは、原作の教訓をあえて無視して、「現代のルードヴィヒの狂乱振りを描く」ことが主題だったのかも?

だとしたら、先に否定した部分が全て活きてくるから映画って面白い!(笑)。

もしかしたら、ルキノ・ヴィスコンティの名画 『ルードヴィヒ/神々の黄昏』への、バートンなりの挑戦状だったりして…。

一説によるとその『ルードヴィヒ』は、撮影開始時のタイトルが「All is but toys」だったそうで、もしそれが本当なら、ルードヴィッヒとボンバースト男爵の因縁はますます浅からぬものがあることになります。

『ルードヴィヒ/神々の黄昏』にはちゃんとゲルト・フレーベも出てることだし(爆 )。

 

このように考えを進めてくると、ウィリー・ウォンカがルードヴィッヒ2世のカリカチュアということはほぼ確実ですが、そこから逆に考えると、そのネーミングの意味も解ってきます。

 

ドイツ史を俯瞰した時、ルーヴィッヒを退位に追い込んだ勢力の頭はドイツの統一を成し遂げた鉄血宰相ビスマルクということになります。

そのビスマルクがドイツ皇帝に選んだのがヴィルヘルム1世で、 その愛称はヴィリー=ウィリーなんですね。

 

それから姓のWONKAというのがどこから来たかですが、

WONKYという形容詞があって、その意味は

1、ぐらぐらする,よろよろする.    

2、信頼できない,あてにならない.   となります。

 

だからその名詞形で、ウォンカさんの胡散臭さを表してるんじゃないかと思うんですが、決め手はこのWONKYって、「足元がぐらつく」意味に使うんですよ。

ほら、『夢のチョコレート工場』でのウォンカさんの初登場シーンを思い出してください。

ジーン・ワイルダー扮するWONKA氏が、杖を突き、片足を引きずりながら現れて、その挙句にスッ転ぶのは、つまりは、名前に引っ掛けたギャグだったという訳です!

英語圏の人になら自明のギャグなんでしょうが、日本人には意味不明だったあのシーンの謎もやっと解りました。

 

さらにウガって考えるなら、ウィリー・ウォンカとは「足元がおぼつかないウィリー」なので、ヴィルヘルム1世の政権の脆弱性をあざ笑う名前となり、これは完全にダールの皮肉でしょう!

それだけ彼はルードヴィッヒ2世に思い入れがあったんでしょうね。

 

ルードヴィッヒとヴィルヘルムという名前の関連は他にも、ワーグナーのフルネームがヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーだったり、あるいはグリム兄弟のそれぞれの名前だったりして、そのあたりからのインスパイアの可能性もありますので、まぁ、あくまでも仮説ということにしておいてください(笑 )。

 

 気分で登場人物の名前を決めるタイプの作家さんには手の打ちようがないのですが、ダールやフレミングみたいにちゃんと意味をもたせて名前を付けてくタイプの作家さんの場合には、それを読み解いていくのは、ホント、面白い作業です!

こうやってダールの『チョコレート工場の秘密』を研究することで、映画『チキチキバンバン』への理解が一層深まりました。