映画『チキチキバンバン』はオリジナル脚本ではなく、イアン・フレミングの原作が存在します。
その原作を読むことで『チキチキバンバン』の原像を探り、さらにそれがどういう過程を経て、映画の脚本で描かれた世界へと変貌していったのかを、影響が強いと思われる作品を研究することで考察していきましょう。
『チキチキバンバン』は映画オリジナルの物語ではないため、原作のテキストを研究することでまた新たな視点が見つかるかもしれません。攻略のカギは原作にアリ!
献辞
1920年カンタベリー近郊のズボロウスキー伯爵の邸内で製作された、チキチキバンバンの原型に、この物語をささげる。
原型となった自動車は、第二次世界大戦前の1914年型のチェーンドライブ方式75馬力のメルセデスのシャーシに、ドイツの飛行船ツェッペリン号に使用されたものと同型のマイバッハ空冷式のシリンダーのエンジンを搭載したものである。
シリンダーごとについている4つの垂直オーバーヘッドバルブは、クランクケースのカム軸につながる連結棒とハズミ車で作動し、ゼニスの気化器(カービュレーター)が2個、1本の長いインダクションパイプで接続されていた。
この自動車は、みがきこまれた大きな8フィートの長さのボンネットのついた、グレーの鋼鉄の車体をもち、全重量は5トン以上もあった。
1921年、ブルックランズの100マイル・ショートハンディキャップのレースで、時速101マイル(約163キロメートル)で優勝し、ふたたび、ブルックランズのライトニング・ショートハンディキャップのレースで優勝した。しかし同年、ある事故*に関係し、そのため伯爵は、それ以後二度とこの自動車をレースに出場させなかった。
*ある事故とは、失礼にならぬようにこう書いたのであり、その実、チキチキバンバンは、とつぜん、なぜか怒り心頭に発し、伯爵をのせたままコントロールを失い、後ろむきに猛烈なスピードで、計時小屋をつきやぶって突進したのだ。
ぼうけんその1
あらすじ
ポットという苗字の、冒険好きな家族があった。
父親がカラクタカス・ポット元海軍中佐、母親がミムシー、双子のジェレミーとジェマイマの一家だ。
この一家にはたいした貯えはなかったのだが、それぞれが楽しく暮らしていた。
ポット氏は発明家で探検家だったので、ある日「カラクリ笛吹きあめ」を発明した。
そのあめ玉には、たいへんうまいこと穴が二つあけてあり、しゃぶりながら、歯の間にはさんで吹くと、笛のようないい音がした。
ポット氏は、その発明を、町一番の製菓会社のスクラムシャス社に売り、その金でかつて名車といわれたレーシングカーのぽんこつを買ったのだ。
その車は一二シリンダー、八リッターのパラゴンパンサーだった。
長くて低い車体のはげた塗装は、イングランドのレーシングカーの特徴の明るい緑色をしていた。
そして、ジェレミーとジェマイマが夏学期をおえて寄宿舎から戻ってくるまでに、ポット氏はこのぽんこつにわき目もふらず取り組み、新車同様、それどころか、世界一美しい自動車にしたてあげたのだった。
ところが、この自動車には、ポット氏自身が発明したいくつかの仕掛けの他に、ダッシュボードには、たくさんのつまみや、レバーや、点滅するライトがついていて、その中には、ポット氏さえわからない秘密がかくされていた。
一家は、このきらめく新車にのって、ドーバー近くの海岸に向かったのだが、たちまち、同じ方向にむかう自動車の長蛇の列に はいりこんでしまった。
そのときだった。チキチキバンバン--この自動車のエンジンが初めてかかったとき、世にもめずらしいチキチキバンバンという排気音を出したので、そう名づけられたのだが--は、
突然、翼とプロペラを出して、空に舞い上がった。
そうなのだ。まさに、そうだった。
泥よけが翼になり、ラジエーターのファンがプロペラになって、 まるで飛行機のように空を飛んだのだ。
一家が海岸につくと、磯も砂浜も、休日を楽しむ人びとでいっぱいだった。
そこでチキチキバンバンは、イギリス海峡にとびだし、グッドウィン砂洲にむかってとび、静かに着陸した。
おかげで一家は、水あそびをしたり泳いだり、危険な砂洲で座礁した難破船に乗って宝さがしをしたりすることができたのだった。
水あそびをし、うまい昼食をたべた後で、家族全員昼寝を楽しんだ。
ところが、潮がゆっくりとみちはじめ、グッドウイン砂洲を覆い尽くそうとしていることに誰も気づかなかったのだ。
ポット一家とチキチキバンバンは、絶体絶命となった!
解説と研究
このイアン・フレミングの原作小説の映画との違いは、まず時代設定が違います、はっきりとは書かれていないけど、フォルクスワーゲンビートルと思しき車が出てくるし、高速道路がポッツ家の近くを通ってたり、マイカーを持ってる人々が普通にたくさんいて渋滞も起こってるので、たぶんこれが書かれた1964年とそう変わらない時代、1950~60年代じゃないんでしょうか?
それから家族構成が違いますね。カラクタカス・ポット(たぶん同じポッツと思うけど、解り易くしたのかな?)さんと、母親のミムシーと、双子のジェレミーとジェマイマが家族で、お祖父さんはいません。
だから、ポッツさんは当然、自活していて、豊かではないけど決してピーピーもでない暮らしを営んでいるようです。
チキを買うお金を稼ぐのも、ちゃんとカラクリ笛吹き飴の売込みに成功し、買取じゃなくてパーセンテージの報酬も受け取る契約を結んでいるんで、それなりに生活力のある大人として描かれてますね。
元海軍大佐で軍では技術将校だったという設定も納得です。
ちなみにスクラムシャス製菓会社はちゃんと出てくるけど、ミムシーが健在なんでトゥルーリーはいません(笑)。
チキとの出会いも子供たちが引き寄せるんじゃなくて、 まず車を買おうとしてカラクリ笛飴を売り込んで、その契約金で特別な車を探して新車・中古を問わず、さんざんディーラー見学をした挙句、かつて有名だったレーサーが経営する修理工場でチキとめぐり合います。
映画みたいな行き当たりばったりじゃない計画的行動なのは、さすがは元中佐殿。
さて、そのチキは一応シートか被せられてるけどサビとカビだらけで、おまけに蛾やらゴキブリやらの巣になっているという有様。
普通の金持ちならそういうモノが特別だなんて思いもしないでしょうが、その最低の状態の鉄クズを家族全員大いに気に入り、購入を決めちゃうんですね。
ポッツさんや子供たちが夢中になるのはまだ解りますが、ミムシーまでがこのポンコツを買うことに乗り気なんだから、さすがポッツさんの奥さんです。これがもしトゥルーリーだったら、この状態では難色を示したかもしれませんね(笑)。
さて、買って帰ったポンコツを生まれ変わらせるのには、映画ではせいぜい1~2週間という感じですが、原作では1学期の間、ということは約3ヶ月かかっているみたいです。
そう、映画では村の学校にサボリ気味でしか通ってなかったのに、原作では双子はちゃんと寄宿制の学校に行ってるんですね。
この辺、イアン・フレミングの生活信条「紳士淑女たる者はパブリックスクールへ入るべし」が、もろに現れてるのかもしれません(笑)。
もちろん、フレミングはジェイムズ・ボンドにもパブリックスクールへ通わせています。
ただしボンドは、かなり上の学年になってから、メイドと間違いを起こして放校処分を受けたりしているんですが(笑)。
チキが完成して初ドライブに行くのは映画と同じですが、行く場所がまた独特です。
英仏海峡の難所として名高いグッドウィン砂洲。
潮が引いたときはフットボールが出来るほどの広さの砂州が現れるこの場所は、これまでに難破した数々の船があちこちに転がっている、まさにサルガッソー海やバミューダトライアングル状態。
単なる浜辺の映画と違って、この海の墓場での冒険は素晴らしいですが、やはりロケの都合で変更になったんでしょうね。
映画での、セブンシスターズ崖からの転落はその代わりの見せ場でしょうか?
だから当然、初飛行のシチュエ-ションも映画とは違っていて、渋滞に巻き込まれたチキが、オーバーヒートしかかってていらついたのか、自らダッシュボードに「ひけ、まぬけ!」というポッツさんへの指示を出し、そして変形、飛び上がるんですが、この口の悪さはいったいどこからきたんでしょうね?(笑)
ぼうけんその2
あらすじ
グッドウィン砂洲で昼寝を楽しんでいたポット一家は、潮が満ちるのに気づくのが遅れ、あわててチキチキバンバンを動かしたが飛び立つために必要な助走の距離が走れない。
このまま海底の藻屑となるかと思った瞬間、またまたチキからの命令が出てポット氏がつまみを回すと、今度はチキは4つの車輪を横にしてスクリューの代わりにし、そのままモーターボートのように海上を進みだしたのだった。
チキは途中、大型船にぶつかりそうになりながらも、そのまま海峡を越えフランスに上陸。
あいにく崖ッ淵だったので、ポッカリと口をあけた洞穴の中へチキを走らせると、その奥でなんと、ギャングのモンスター・ジョーの秘密兵器倉庫を発見してしまう。
そのままにしておけない冒険心を持つポット一家は、その場にあった道具をうまく使って秘密倉庫を爆破するが、洞窟から出てきたところをジョー一味に見つかってしまった。
絶体絶命のピンチだったが、ポット氏はチキの羽をうまく使ってギャングをふっとばし、そのまま大空へと逃げ出した。
しばらくの後、フランスはカレーの町、スプランディードホテルを月が照らしだしていた。
そこでは過去二十四時間の息づまる冒険を終えたポット一家、カラクタカス・ポット元海軍中佐と、奥さんのミムシーと、ふたごのジェレミーとジェマイマが、お風呂に入っておいしい食事をたらふくたいらげた後で、ぐっすり眠っていた。
ホテルの車庫ではふしぎな自動車チキチキバンバンが、これまた気持ちよさそうに休んでいた。
海峡をフランスまで猛烈ないきおいで横断したあとの熱くなったエンジンと、クランクシャフトと、ブレーキライニングが、 やっと冷えたところだった。
ところが。まっ黒なホテルの影の中に、モンスター・ジョーと、その一味の山男フィンクと、石鹸サムと、殺し屋バンクスが乗った強力な大型の黒いオープンカーが潜んでいた。
その日の午後、彼らの秘密の弾薬庫を爆破した、にっくきポット一家に復讐するためだった。
ポット一家にまたまた危機迫る!
解説と研究
ぼうけんその2(2巻)は完全に007調アクション編ですね。
チキの海難に始まり、洞窟探検、そして秘密基地の爆破、ギャングとの対決、危機一髪の逃避行、そしてさらなる危機が迫る ところで終わりと言う、まさにノンストップアクション!
映画と違ってモーターボートみたいに海上を走りだすチキ号ですが、これは映画では変えたというより、上のイラストのままだとどう考えても浮きそうにないんで、映画ではゴムボートに乗せざるを得なかったんでしょうね(笑)。
海上を疾走するチキの各計器を冷静に調べたポッツさんは、家に帰ろうと言うのかと思ったら、「今は冒険を楽しもう!」と宣言してフランスへと向かうんだから、カッコよさの極みです。
映画の『007/私を愛したスパイ』で、「エスプリで海に飛び込んだボンドが、慌てる女スパイを尻目に冷静に計器をチェックして冗談を言う」シーンの原型はここにあったのかと感心することしきりでした(ホントか!w)。
映画とは違って、ちゃんとチキの「魔法」のそれぞれにメカニックなこだわりを見せているあたり、現実主義者のフレミングならではでしょう。
飛ぶにも当然、助走が必要なんで、グッドウィン砂州でもフランス上陸後の断崖絶壁でもドラマが生まれてます。
それから、冒険のクライマックスの秘密基地の爆破に至っては、もうフレミングがボンド映画のセルフパロディをやってるとしか思えません。
だって、親子連れのピクニックでそんなことする必要は全然無いですもん(笑)。
場所がイギリスなら、元海軍大佐の愛国心のなせる技ととれるけど、フランスなんだからポッツさんには何の権限も無い訳で、これはもうポッツさんが秘密にダブルオーライセンスを持たされていたと考えるしかないですね(爆)。
映画でのチキの空想の冒険が繰り広げられるバルガリアはドイツの一領主国をモデルにしているようですが、原作ではフランスへとチキは飛び立つんですね。映画でフランスからドイツへの変更がなされた訳はいろいろ考えられますが、歴史的な問題、つまり舞台をおよそ1920年頃に変更し、敵を小さな国の独裁者と設定した段階で、古くから強大な統一王権が敷かれていた上に、 とっくに革命により共和制となっていたフランスでは無理で、現実でも19世紀終わりまで諸侯が乱立していたドイツがモデルになったんじゃないでしょうか?
ノイスバンシュタイン城でルードヴィッヒ2世がしたい放題してたのは1886年のことだし、ボンバーストの城としてこの城を使った意味は、単にカッコよさからだけじゃなくて、ボンバーストがルードヴィヒの醜いカリカチュアだからなんでしょうね…。
となると、城の前の湖に男爵夫人が墜落し溺れかけるというのは、メチャメチャダークなユーモアですね…。
なにせルードヴィヒは、やはり湖で謎の水死を遂げてる訳ですから…。
現実のノイスバンシュタイン城のすぐ横には湖は無いんで、ロケしてまでもわざわざああいうシーンを挿入してるってとこに、暗い情熱を感じます(笑)。
そう考えていくと、これはむしろ敵をルードヴィッヒにしたかったから、ああいう話が作られていったんじゃないでしょうか?
ポッツさんのやってることを果てしなく大掛かりにしていったらルードヴィッヒになりますからね!
映画の脚本を担当したロアルド・ダールにとって、ルードヴィッヒというのは特別な存在だったのかもしれません。
ぼうけんその2で敵として出てくるギャングたちは、いかにもそれらしい連中です。
ボスのモンスター・ジョーはハゲで背の低い巨漢なんで、これはゴールドフィンガーのイメージに近く、映画でのジョーの代わりの敵であるボンバーストに、ゲルト・フレーベがキャスティングされた理由の一つはこれでしょうね。
冒険の後に最高のホテルで上等の食事を楽しむのもボンドそのもの。
ここでは細かい料理へのウンチクは披露されませんが、それは実は次のぼうけんでのお楽しみだったりするのです(笑)。
ぼうけんその3
あらすじ
ホテルでぐっすりと眠っているポット一家をジョー一味が襲ったが、卑怯にもジョーの狙いはポット氏ではなく、双子のジェレミーとジェマイマだった。
あまりに鮮やかな手口のため、両親は眠ったままだったが、チキチキバンバンはしっかりと目覚め、内蔵されたレーダーを機能させ、さらわれた二人の行方を追い、行方を突き止めると「ガクーガ、ガクーガ」と猛烈なクラクションの音を響かせて、ポットさんとミムシーを起こした。
驚いた二人は、すばやくホテルの払いを済ませ、夜の町に全速力でチキを走らせる。
一方、さらわれた双子は、乗せられた黒い車の後ろで、ジョー一味が何やら密談している声を聞いたが、昼間の激しい冒険の疲れのために何時の間にか眠ってしまった。
やがていずことも知れぬジョーのアジトに 連れ込まれた二人は、朝食を持ってきたジョーからある提案をされる。
「五千フラン紙幣を渡すから、ムッシュー・ボンボンのお菓子屋で四千フランの詰め合わせを買ってこい。つりはお駄賃にしていい」
その提案はなかなか魅力的だったが、相手はギャングのこと、何か裏があるに違いない。
そう考えた双子は、見かけのわりにはイケる朝食を食べながら相談したが、やがて夕べ聞いた悪巧みの言葉を思い出し、ジョー一味が店の売上金をごっそりと奪うつもりだと思いついた。
機転を利かせた双子は、ギャングに協力するふりをして、ムッシュー・ボンボンのお店に入り、彼に全てを打ち明ける。
危機を知ったボンボンにより、厳重なシャッターを下ろされ、店の外の車の中で歯ぎしりをするジョー一味だったが、そこへ猛スピードでかっとんで来たチキチキバンバンが激烈な体当たりをかました!
ジョーの黒い車は横倒しになり、一味は弾き飛ばされ、なんとか逃げ出したジョーも、駆けつけた警察と共に追跡に加わったポット氏のタックルによって倒され、ついに逮捕されたのだった。
ムッシュー・ボンボンは大喜びでポット一家に感謝し、持ちきれないほどの
お土産をくれただけでなく、門外不出の秘伝のお菓子の作り方を教えてくれたのだった。
翌日、衝突で壊れたバンパーの修理が終わったチキと共に、ポット一家は家路に着くことになった。
もう冒険は終わったから、今度は安全に、フェリーでイギリスへ帰ろうと言う両親に
不満の声を上げる子供たち。
「もっと冒険、冒険~」するとその言葉に応えるようにチキはうなりを上げ空に舞い上がったではないか、
そう、作者さえ知らぬ、新しい冒険へと向かって!
解説と研究
ぼうけんその3はいよいよ子供たちの冒険です。
1巻ではチキチキバンバン自体の魅力とそれに伴う冒険を描き、2巻目は家族によるジェームズボンド調の冒険、 そして3巻目は子供たちだけの冒険と、フレミングは毎回趣向を変えて読者を楽しませてくれます。
そうジュブナイルにおいては子供たちの力だけによる冒険というのは不可欠です。
誰の力も借りず自分の能力をフルに使って何かを成し遂げてこそ子供たちは成長するものであり、フレミングが自分の息子キャスパーのために書いた、この『チキチキバンバン―まほうのくるま―』で、その大事な点をないがしろにする訳がありません。
それも加減が難しく、充分に冒険を感じさせるものでありながら荒唐無稽に陥らないことが大切なんです。
退屈な冒険なら子供たちはソッポを向くだろうし、あまりにバカバカしいと本気にしてくれませんからね(笑)。
その点、この「ぼうけんその3」の冒険はさじ加減が絶妙で、一歩間違うと命の危険がある大冒険でありながら、子供の機転で切り抜けることができて、最後にはちゃんとチキチキバンバンが登場し、しかもみんなのパパが悪の親玉を捕まえるという、まさに理想的な構成になってます。
今回はお話の表にはあまり出てこないチキチキバンバンですが、子供たちの危機を察知し、行方を突き止めるという活躍があり、まるでボンドカーのアストンマーチンDB5みたいなレーダーが内蔵されていることが解ります。
というより多分これ、映画の『ゴールドフィンガー』を観たフレミングがセルフパロディとしてちゃっかり頂いたんじゃないでしょうか?(笑)
それから、ギャングのアジトで差し入れられた質素な朝食を食べながら子供たちが相談するシーンがありますが、その食事をいちいち描写するのがいかにもフレミングで、「フランス人がカフェオーレとよんでいるミルク入りのコーヒーは、コーヒー好きの者にとっては、イギリスでのむ水っぽいコーヒーよりははるかにましだ」と、自分の哲学を入れるのも忘れていません(笑)。
フレミングはイギリス人でありながらかなりのコーヒー党だったようで、紅茶についてジェイムズ・ボンドに「あんな泥水みたいなものは飲めない」 と作中で語らせるほどでした(笑)。
そのフレミングに「イギリスのコーヒーよりまし」と言わしめたフランスのカフェオレ、飲んでみたいですねぇ!
フレミングの食べ物へのウンチクはそれだけに留まらず、お話の最後に、ムッシュー・ボンボン秘伝のファッジのレシピが細かく書かれています。
お菓子を作る習慣のある人なら簡単に作れそうなので、たぶんイギリスではこれを読んだたくさんの子供たちが、お母さんにこのファッジを作ってもらってるんでしょうねぇ!
それから最後、新たな冒険にチキチキバンバンとポット一家は旅立ちますが、これたぶん続編を考えてのことだと思います。
この本が出てほどなくフレミングは亡くなってしまうんですが、特別な病気からではなく、過労による心臓麻痺によるものだったんで、執筆時点ではそんなことは解る訳ありませんからねぇ…。
生きていたら絶対続編はかかれていた事でしょう。
その後、ボンドの甥が活躍するアニメや、本人の少年期の物語が作られるほどなんで、「ジェイムズ・ボンド」ファミリーの活躍に需要が無い訳がないじゃないですか!
このように子供にも、お父さんにも、そしてお母さんにも、活躍の場が与えられている
『チキチキバンバン―まほうのくるま―』がイギリスでは判を重ねてるのも当然です。
と言うよりも、なんで日本では絶版なのかが理解できません。
なんでも買ってきちゃう日本の普通のお母さんじゃ、おいしいファッジを作ってあげられないからなのかなぁ…(嘆)。
絶版ではあっても、わりと図書館には入っているようなんで、読む事はできるはずなんですが、実際にお母さん方が、この本のよさにちゃんと気づいて、子供に勧めてるかどうかは微妙ですね。
映画を観たことがあったり、読書をする楽しみを知っているお母さんなら大丈夫だろうけど、えらい先生の勧める本を鵜呑みにしているような人じゃ、『チキチキバンバン』を手にとることはないでしょうからね…。
この『チキチキバンバン-まほうのくるま-』全3巻は、日本でも、もっともっと読まれて欲しい本です。