『裁かれるは善人のみ』解説とあらすじ

世界には、理不尽、不条理なことが多い。土地の再開発に反対して、住む家を追われ、土地を失い、悲劇を迎える。無実なのに罪に問われ、財産を失う。神に救いを求めても、応えてくれない。「裁かれるは善人のみ」(ビターズ・エンド配給)は、まさに、このような理不尽さに、悩みくるしむ人間の姿を、まことに人間臭く、重厚に描いたロシア映画である。監督のアンドレイ・ズビャギンツェフは、「父、帰る」、「ヴェラの祈り」、「エレナの惑い」の三作を撮り、いずれも世界じゅうのいろんな映画祭で、多くの賞を受けている。本作もまた、第72回のゴールデングローブ賞で外国語映画賞、第67回のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受けている。

舞台は、ロシア北部、モスクワから遠く離れた海辺の小さな町。コーリャは、若い妻と、前妻との間にできた十代の息子とともに、自動車の修理工として、つましく暮らしている。そこに、再開発狙いの強欲な市長が、土地の買収を画策する。この地で生まれ、いまの住まいを離れたくないコーリャは、友人の弁護士をモスクワから呼び寄せ、市長一派に抵抗しようとする。さらに、コーリャをめぐる人間関係が入り乱れ、さまざまな悲劇に発展していく。果たして、コーリャたちに神の救済は、訪れるのか。

脚本に仕上げる上で、元になったいくつかの資料がある。2008年、アメリカで「キルドーザー事件」が起こる。マービン・ヒーメイヤーという52歳の溶接工が所有していたガレージに、再開発の手が延びる。周辺の土地が買い占められ、景観を損なわれそうになったヒーメイヤーは孤立する。再開発に反対する勢力もあるが、役所や警察、開発側の力は、圧倒的である。ヒーメイヤーは、ブルドーザーを装甲車に改造し、開発側の建物を次々と破壊していく。事件の名は、映画「殺人ブルドーザー」の原作で、シオドア・スタージョンの小説「キルドーザー」に由来する。

アンドレイ・ズビャギンツェフ監督は、16世紀に設定された「ミヒャエル・コールハースの運命」というハインリッヒ・フォン・クライストの小説を読む。馬商人のコールハースは、通行証が不要なのに、かたとして持ち馬を預けてしまう。コールハースは不正を訴えるが、無視される。妻までが暴力を受け、死んでしまう。コールハースは、自力で戦闘勢力を率いて蜂起するが、結果、世間を騒がしたことで死刑となる。

映画の原題「リヴァイアサン」は、トマス・ホッブスの著書名(正しくは「リヴァイアサンーあるいは教会的及び市民的なコモンウェルスの素材、形体、及び権力」)だが、もともとは、旧約聖書のヨブ記、詩編、イザヤ書に登場する海の怪物である。イザヤ書27章にはこうある。

「その日、主は 厳しく、大きく、強い剣をもって 逃げる蛇レビヤタン 曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し また海にいる竜を殺される」。
リヴァイアサンは、巨大な体に硬いウロコがあり、いかなる武器でも通用しない。まことに象徴的な原題である。

ヨブ記は、テレンス・マリック監督の映画「ツリー・オブ・ライフ」の基底となる一編である。本作でも、八方塞がりになったコーリャの問いに、神父がヨブ記を引用し、答えるシーンがある。「海の怪物(レビヤタン=リヴァイアサン)を釣り上げ 縄で舌を縛れるか それは哀れみを請い 優しく語りかけたりするだろうか?」。神父は、ヨブが神にどう対峙したかを、諭すように語る。

再開発が進む。鯨か、あるいは怪物のような大きな骨格が海辺に横たわっている。土地をえぐりとるように建設機械が作動する。骨格、建設機械が、リヴァイアサンの姿に見えてくる。

俳優たちには、なじみがないが、いずれもロシアでは、キャリア豊富な実力ある人たち。劇中の音楽は、監督がお気に入りの作曲家フィリップ・グラスのオペラ「アクナーテン」のスコアが使用されている。重い雲が立ちこめ、荒い波が善も悪も、人間のさまざまな欲望を洗い流す。リアルな海辺の描写に、シュールな映像が挟まれる。上映時間2時間20分のほとんどが、多くの問いを突きつけてくる。「人間は悪なのか」、「善は存在するのか」、「組織、国家、権力とは」、「個人の尊厳、自由とは」、「神とは」・・・。

人間は、私利私欲におぼれる。その欲望には限りがない。ホッブスは、人間が真の意味で自由を獲得できるように、「リヴァイアサン」を著し、個人と国家の関係を説いた。国家は神が作ったのではなく、便宜的に、自由を渇望する人間が、国家という形を作り、国家に個人を委ねたのだ、と。

いまのロシアで、人間の心の深奥を見つめ、施政者批判をほのめかし、これほどの政治的な寓話を紡ぐ作家は少ない。アンドレイ・ズビャギンツェフの驚くべき力量と言える。

あらすじ

モスクワから遠く離れた海辺の小さな町。祖父の代から住み続けているコーリャ(アレクセイ・セレブリャコフ)は、小さなガレージを所有し、自動車の修理工をしている。コーリャは、前妻との間の息子ロマ(セルゲイ・ポホダーエフ)と若い妻リリア(エレナ・リャドワ)とつましく暮らしている。ロマは、若い義母に口答えばかりで、いまひとつ、うまくいっていないようだ。

コーリャは、いま、訴えを起こしている。市長のヴァディム(ロマン・マディアノフ)たちが、土地の再開発のために、コーリャの土地を収用しようとしているからだ。コーリャは、モスクワから友人の弁護士ディーマ(ウラディミール・ヴドヴィチェンコフ)を呼び寄せる。ディーマは、ヴァディムの悪行を調べあげ、なんとか裁判に勝てる感触をつかむ。

コーリャは、土地が買い上げられた場合の金額として、350万ルーブル(約760万円)、要求している。裁判所の決定は、わずか64万ルーブル、要求額の2割にも満たない。ディーマは、やり手の弁護士である。ヴァディムの弱みにつけ込み、半ば脅迫するような形で、満額の350万ルーブルを承知させる。

ヴァディムは、怒り狂う。警察官、検察官、判事は、すべてヴァディム側の人間である。「このままでは、次の市長選に勝てない」と叫ぶヴァディム。ディーマは、リリアに経過報告をする。成り行きだろう、ディーマとリリアは関係を持つことになる。

コーリャの仲間たちが、趣味の射撃に出かける。射撃の標的は、ロシアの歴代大統領だ。ふとしたことから、コーリャは、ディーマと妻の関係を知り、荒れ狂う。同じころ、ヴァディム側の攻撃が始まる。最初に狙われたのがディーマである。ディーマは、殺されはしなかったものの、ひどい目にあわされ、モスクワに戻ってしまう。

コーリャ、リリア、ロマの家族関係は、破綻する。コーリャはウォッカに溺れる。ある日、水産工場に勤めているリリアは、工場に向かわず、ひとり、海辺に向かう。

コーリャ、ロマ、リリアは、いったいどうなるのか。ヴァディム側の画策する土地の収用、再開発は、どのように展開していくのか。そして、神は存在するのだろうか。

<作品情報>

「裁かれるは善人のみ」
©2014 Pyramide / LM
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